扇子の今まで
多くの伝統産業は、大陸から伝わってきましたが、扇子は千年の都、京都で創作され、豊かな風土と文化に育まれ、その時代時代の人々の暮らしに密着しながら、常に創意工夫を重ね、他産地では見られない繊細で優美な美しさを醸し出しています。
平安時代初期に扇子は、官史たちが記録用として使用していた「木簡」(長さが30cm位の薄板)を綴り合わせて創られたと考えられています。
これが扇子の原形で、「檜扇」となりました。
以後「檜扇」は宮中男子の持ち物として欠くことのできないものになりました。
やがて宮中女子にも広がり、扇面は上絵で飾られ、雅やかな身の回り品となりました。
平安時代中期には、広げた形がコウモリの羽に 似ていることから、蝙蝠扇(かわほりおうぎ)と呼ばれる扇骨が5本位の紙扇が作られ、扇子としての実用的な機能を持つようになり、檜扇は冬の持ち物、紙扇は夏の持ち物となりました。
鎌倉時代には、中国にも輸出されるとともに、工芸美術 品として王朝社会の日常 生活に深く根をおろし、発展していきました。
室町時代には、それまでの日本の扇子は片面だけに紙を貼ったものでしたが、中国に渡った扇子が変化し、両面に紙を貼った「唐扇」が日本に逆輸入 され、日本でも両面貼りの扇子が創られるようになりました。
京都では唐扇を発展させた両面の紙の間に薄い芯紙をはさんだ地紙が発明されました。
また、武家文化の発展により、猿楽、能楽などの演劇にも用いられ、一般に広く普及することに なりました。
一方、茶道にも取り入れられ、京都は扇子製造の本場としての地位を確立しました。
江戸時代には、扇子の種類、用途も増え、業界はいっそう発展しました。
また、中国に渡った扇子はヨーロッパにも伝わり、パリなどでも扇子の生産が始まり、扇をゆらめかす貴婦人たちの姿がよく見られました。
江戸時代末期には、ヨーロッパに伝わった扇子が日本に逆輸入され、「絹扇」を生み出し、大きさや扇骨の数など、従来からの紙扇にも影響を与えました。
明治・大正期には、生産高の約半分が輸出に当てられるくらい、輸出がとても多かったです。
現在、扇風機やクーラーの普及、着物離れにより生産数は減少しましたが、生活の多様化の中、装飾品としての扇子が見なおされ、ファッション化、高級化の傾向もみられるようになってきました。